2024年で、当サイト 「巨鯉への道」 を開設開始してから20年が経つ。13才だった私が、はじめて鯉釣りに特別な思い入れを持つようになってから22年の歳月が経過した。

 小さい頃から外に出歩くのが好きだった私だが、はじめて釣りをしたのはいつのことだろう・・・。プロフィールには5歳頃と書いているが、正直なところ、それより前からロッドを握っていた。自分で魚を相手にした記憶はないが、狭いニジマスの釣堀で竿をフルキャスティングし、後ろにいた人の服に針をひっかけて、「人を釣ってどうすんだよ(笑)」というツッコミをもらった覚えがある。小さい頃から釣りをすることが好きで、他にも昆虫採集など、外で生き物に触れることが大好きだった。

 そんな私にようやく物心がつき、そしていま、「鯉釣り」というジャンル、野生の鯉という魚だけにターゲットを絞り、より賢く、強く、大きな鯉「巨鯉」を狙うようになったのはなぜか。ちょっと思い出してみる。


 小学校にあがってから、父親に頼んで車を出してもらい、海や川へ連れて行ってもらうことが多くなり、またバスや電車を使って、学校の友人と沼でフナを釣るようになった。札幌市内にあるモエレ沼という沼にて、毎週のように釣りに行き、友達と「時間内にどれだけ多くのマブナを釣れるか」というゲームに熱中。寄せエサ無しで、一日に百匹近いフナを釣って楽しんでいた。そうしているうちに、50センチほどの巨大なヘラブナを目撃。片目が欠けた、いかにも老魚らしいその魚の存在感に圧倒され、ヘラブナに興味をもった。釣り場でよく会っていたヘラ師の方たちから本格的なヘラブナ釣りのレクチャーを受け、道具も揃え、繊細でコンセントレーションやイマジネーションを要する釣りにのめりこんだ。

 そして・・・中学一年の春、マブナやヘラ釣りに熱中していた私に、幼馴染の山﨑くんからこんな話をもちかけられた。

 「創成川っていう川に、大きな鯉がたくさんいるのをみたよ」

 この一言から、このエピソードと、 「巨鯉への道」 が始まった。

 「週末、うちのお父さんがそこに連れて行ってくれるから、祐基くんも一緒にいこうよ」

 近くの川に大物がいる、釣り人ならそれを狙わない手はない。

 即答でOKを出し、準備に取り掛かった。
 鯉という魚を狙って釣るのは初めてのこと。だが特に、特別な準備をすることはないだろう。フナよりも大きくて強いだろうから、タックルと仕掛けのパーツは普段使うものより丈夫なものを用意し、部屋の本棚にあった「釣り入門」と書かれた実用書の「コイの釣り方」を参考に、仕掛けやエサを準備することにした。

 そして週末。いよいよ実釣開始。山崎君が大きな鯉を目撃したという創成川の下水道科学館前に到着。創成川という川は、札幌の小学校や中学校の社会科の教科書によく登場するので、その存在は知っていた。だが実際に見てみると、思ったよりも小さく、浅く、そして山崎君が言うよう、大きな鯉がたくさん居た。


2011年撮影

 いてもたってもいられず、早速タックルをセット。竿はいつも使っているバスロッドだが、リールはいつもより大きいものに、太い糸を巻いてきた。丸セイゴ針にエサのミミズを付けてセット完了。山崎君も同じようなタックルで挑んだ。

 泳いでいる鯉のすぐ近くに仕掛けを落とす。しかし鯉よりも先にウグイがヒットしてしまった。もう一度、新しいミミズを付けて鯉の近くにキャスト。だが、仕掛けの着水音に反応したウグイが寄ってきてしまい、鯉が来るまで待てない。ここでエサを変更。釣り用のイモヨウカンを使ってみる。これは植物性のエサであり、ミミズほどウグイなどの興味を惹かないだろう。しかも釣りの本には 「芋は鯉の大好物」 とあった。これなら完璧。悠々と泳ぐ鯉に目をつけ、その鯉のすぐ近くに仕掛けを下ろした。だが、鯉は驚いて逃げてしまう。公園の池などにいる鯉は、エサを見るとすぐに食べに来るので、もっと果敢にエサに食いついてくるものと思っていた。

 すぐに再トライ 、こんどこそ! ・・・・・しかし、やっぱりダメだ。鯉にエサを見せても警戒される。山崎君も同様に、なかなか鯉をヒットさせることができない。わざとらしく仕掛けを近くに落とすからダメなのであろう、本には 「鯉は毎日同じ回遊ルートを泳ぐ」 と書いてあった。今度は鯉がよく通るルートに仕掛けを置き、しばらく待ってみることにする。すると、早速鯉が仕掛けの方に近寄ってきた。よし、食え…。しかし鯉はエサを見るなり急に進路を変えて去っていってしまった。

 見切られた・・・!?

 悔しさのつのる中、手を変え品を変え、それでも、多くの鯉にスルーされたが、ようやくエサに興味を示してくれる鯉が出現。アイツなら釣れる・・・・。その鯉がエサを吸い込む。

 「食った!!」

 しかし、吸い込まれたはずのエサが吐き出され、捨てられた。口に入った針とエサが、1、2度の首振りで外されてしまったのだ。

 なぜ? サカナごときに苦戦させられている??

 午後、昼食をとってからまたすぐに釣りを再開した。釣れないのはきっと場所が悪いんだろう。そう思った私達は釣り場を移動。しばらくして到着した場所は北商橋 養護学校前。ここは比較的水深があり、魚影も濃そうだ。私達は橋の上流側に竿を並べ、鯉が通りそうな場所に仕掛けをキャスティング。エサはまたミミズを使ってみたが、やはり鯉以外の魚が頻繁にアタってしまう。ここではウグイよりもマブナが多く、ほとんど入れ食い状態で私達の仕掛けに掛かってきた。やはり、イモヨウカンのほうが鯉だけを狙うのに有効そうだ。そう思い、再びイモヨウカンに変更。だが、今度はまったくアタリがなくなってしまい、時間だけが過ぎてゆく。

 ちりりりンっ、と激しい竿鈴の音が聞こえた。

 橋の下流側で竿を出す釣り人に何かがヒットしたようだ。釣り人は激しく揺さぶられる竿を手にし、魚との引き合いをする。しばらくしてタモ網に掬われた魚はまさしく、私達が懸命に狙っている鯉。タモの中で暴れるその姿は、私がこれまでに釣ってきたヘラブナとはまた違った美しさがあり、女性的なやさしい印象を受けるヘラブナにはない精悍さを見せた。リールを唸らせながらラインを水中に引きずり込む鯉と、それに対して敢然と竿を捌く釣り人の姿には、私にセンセンーションをもたらした。

 なるほど、これが鯉。俺達も釣ってやろうじゃないか。

 隣の釣り人が釣ったものより大きい鯉がうろうろしている。エサ換えの際に、アピール力を増すため、もともと1本針だった仕掛けに、ハリスと針を1セット足し、2本針仕掛けにした。これでなんとか釣り上げてやる。終了時間が近づいてきた。いや、まだ鯉はたくさんいる。これだけ魚がいるんだから、釣れないはずがない。まだか、まだか、なぜ釣れない?確実にエサの近くに鯉がいるのに。

 とうとう終了時間を過ぎた。結果はボウズ。

 なぜ?? 釣り方は間違っていないはずだ。仕掛けも完璧だし、エサだって、鯉の大好物を使っていたのに・・・。

 なにより、目の前にたくさんいる魚を、なぜ一匹も釣ることができないんだ??

 川の状況が悪くて釣れないという事は過去にあった、だがこれだけの良いコンディションでアタリすらないことが理解できない。隣の釣り人には釣れていた。なぜ俺達には釣れないんだ??

 このときの釣りは悔いが残ってしかたがなかった。


 私はすぐに部屋の本棚にある「釣り入門」などと書かれた実用書をあさった。「コイの釣り方」というページに付箋をして、そこに書かれていることを自分のノートにまとめて書き込む。図書館にも行き、釣り関係の本を探し出して様々な「コイの釣り方」を学んだ。多くの著者が述べる「コイの釣り方」から、自分のアイディアも混和させ、鯉を釣るための仕掛けと作戦を蓄えた。


 次の週末。私はひとりで創成川に向かうことにした。改良を加えた仕掛けに、様々な種類のエサを用意。大きな鞄につめて、長い道のりを経ると、早朝の創成川とあの科学館が見えてきた。

 重い荷物を持ちながら小走りに川へ向かい、水面を眺める。居た。鯉が10匹ほどたまっている。すぐに準備に取り掛かった。

 改良した2本針仕掛けにエサのコーンをつけ、鯉の近くに落とす。だがやはりスルーされてしまった。諦めない。鯉の姿を探しながら下流へと歩き、ターゲットをみつけるなり仕掛けをキャスティング。鯉は仕掛けをあきらかに見ているが、食おうとはしない。この調子のまま何匹もの鯉に無視され続けた。なぜなんだ・・・。

 こんなに難しいとは思ってもいなかった。少しずつ歩きながら下流へ進み、中島橋にたどり着いた。橋の上から川を覗くと、70センチほどある鯉がエサを食んでいるのが見える。何も考えずにすぐに竿のガイドに引っ掛けていた仕掛けを外した。

 鯉の目の前に落としたら警戒される。驚かせないようにゆっくり仕掛けを入れて鯉の進行方向にエサを置く・・・。落ちついて。リールを逆転させ、着水音を出さないようにそっと仕掛けを水中へ送った。鯉はエサを食みながら下流へと向かっている。「よし、そのままだ・・・そのままこっちに来い・・・・」。鯉が仕掛けに近づいたとき、呼吸をすることすらも忘れるような緊張を感じた。そして次の瞬間・・・

 食わせた!!

 ようやく鯉をヒットさせることができた。バスロッドが折れんばかりにしなり、リールは聴いたことのないような悲鳴を上げた。

 強い・・・。はじめての鯉の引きが怖いくらいに強く感じた。鯉は私が立つ橋の下をくぐり、私が向く方向と逆側に走りはじめる。くそ!負けるかっ!!心の中でそう叫びながら全身全霊のファイトをする。しかし突然、キリキリと鳴っていた糸が力を落とし、何事も無かったかのような静寂を取り戻した。リールを巻くと、針先がおかしな方向に曲げられた針だけが返ってきた。

 やられた・・・

 こうなったらもう止められない。勝利するまで帰らない。

 興奮により、けたたましいほど心臓が内側から胸を叩いた。こうなったらもう自分でも抑えることができない。明日の学校をさぼってでも、この川に居残って絶対に仕留めてやる。午後になっても持ってきた弁当を開かずに、ひたすら鯉の姿を探り続け、気付くといつのまにか川は夕日のオレンジ色に染まっていた。一日中鯉を追い続けて、疲れていることに気づく。一度下水道科学館前に戻って、鯉がいつもエサを食んでいるあの場所で待ちの釣りをすることにしよう・・・。竿立ては持ってきていないため、鞄に竿をかけ、気持ちと体をクールダウンさせながら竿の変動を待つ。

 そして釣り開始から12時間後の午後6時ごろ。一瞬のリールの悲鳴のあと、5fのバスロッドが、まっすぐ川面へと飛び出していった。かろうじて、鞄にリールがひっかかったことによってその場に落ちる竿。それを持ち上げると、竿が私の手を振り解こうと暴れた。汗ばむ手でそのグリップを強く握り締め、対抗すると、首を振りながら暴れまわる魚の姿が水面に浮かんだ。

 勝利した時、私の耳には何も聞こえず、目には暴れまわる鯉しか見えていなかった。鯉は小さく、40センチまで届いてはいなかっただろう。だが、たった一匹の魚を釣っただけでここまで取り乱したのは初めてのこと。ここまで感動したのは初めてのこと。釣りとは・・・私が考えている以上に奥深いものかもしれない。鯉をリリースしたときにはもう、鯉釣りを辞めることはできなくなっていた。 「目的の鯉を釣り上げて、これで満足満足♪」 こうなるはずだった。ここで止めてしまえばそれで終わりだが、この日苦労してやっと釣り上げた鯉よりもさらに大きい、50センチ、60センチ、70センチ、もっと大きな鯉も見た。次はそれを狙おう。あんなに小さい鯉を一匹釣るのに、これほどにまで苦戦させられたんだ。きっと、今日よりももっと苦労させられるだろうが、その苦労の先を見てみたい。目標の達成が、更なる目標を生むことを初めて知った。

 エピソードは次章「くやしさ」に続く。

 この体験をするまでは 「魚を釣って楽しい」 それだけだったが、何かその奥に、もっと惹きつけられる要素があることに気づいた。私の釣りに対する考え方が変わる瞬間だった。この体験でこの感情が生まれれていなかったら、いま現在ここまで釣りに熱中していたこともなかっただろうし、私のような人間が「夢」やらなんやらという煌びやかな言葉を使うようになることもなかったのではないかと思う。「巨鯉への道」というこのサイトも生まれていなかったことであろう。この次の週から、私の創成川通いが始まった。「釣り」という駆け引きの手段で大鯉を手にすべく、自分なりの研究をしながら「目標達成」へ向かう。

 このエピソードで目標の達成が次の目標を生み、更なる旅の始まりになるということ知り、それを今思い返せば、現在まで私が歩んできた巨鯉への道はその連鎖であることにも気づかされた。スタートという「点」とゴールという「点」を一本のラインで結んでみると、その点と点の間にもほぼ無限に点を入れることができる。次の点へ、次の点へと結びながら、ゴールへと向かう。その点(中間点)は「変動、変化」。スタートしてからこれまで通ってきた中間点は、「毎、自己記録の更新」「考え方、やり方の変化」。60台を釣ることができたら、次の目標は70台、80台を釣ることができたから次は90台。70台をこの釣り方で釣ったから次はこの釣り方で。今年は気になるあの場所を攻めてみよう。今度はこの釣り方であの場所を攻めてみよう。

 これからの釣りで、どのような中間点がいくつ入るかはわからない。中間点は無制限に入れることができる。自分で意図的に入れることも可能だ。たかが趣味の目標であるし、寄り道をするのもあり。もしいつか巨鯉の目標を達成できたとしても、更にその奥にも新たな道が生まれることだろう・・・。道が途絶えない限り私は鯉釣りをやめようとは思わない。巨鯉への道。その道を進んだ足跡がこのサイトの釣行記、あるいは自分の中に残してあるこのような記憶。