鯉釣り日記2021年 時雨

釣行日時 8月4日15時~
8月5日19時 
釣行場所・ポイント名 第二Nダム

 景色のない部屋で過ごす熱帯夜。焦がれて、恋がれて、憧れて、つくため息が多くなるほど竿を手にしたくなる。色の無い世界から飛び出せるのは3日後。携帯が映し出す3日後の天気予報を睨みながら、うだる暑さに耐える日常を過ごす。既に3日後の未来にいるこの心が、武者震いなのか、戦慄きなのか分からない症状を身体に起こさせている。この気合の入り方は異常といえよう。今回の釣りはどんな色で私の目を潤してくれるだろうか。

 8月4日。

 午後の山道を走る車の前をカラスアゲハが通り過ぎる。「揚羽と共に夏が散る」そんなタイトルの釣行記もあった。あれは4年前の深い夏の終わり。色は碧。同じように窓の外をカラスアゲハが横切っていた。この山道もすっかり慣れたものだ。

 時刻は15時。車のドアを開け、3年ぶりに訪れたフィールドの空気を身体に取り入れる。これから雨が降る予報であるが、竿を出すまでに間に合うだろうか。釣り場の下見を終え、上の駐車場に止めた車の中から荷物を出し、キャリーに縛り付ける。背中にロッド、左手にアンフッキングマット、右手にキャリー。さぁ、行こう。

3年ぶりに訪れたフィールド 釣り場までは担ぎ込み

 荷物を解き、ガイドにラインを通すところまでは順調だった。しかし、これまでけたたましく鳴いていたセミの声がピタリと止んだ。思ったよりも早く雨が降り出してしまった。遠くで雷鳴も聞こえる。これは足元がずぶ濡れになる前にテントを立てるのが急務となる。宿泊用のテントと雨が止むまで過ごすハーフテントを設営し、空の様子を伺う。予報では夕マヅメまでには止むとなっているが、雨粒は大きく強く湖面を打ち付けている。セットしかけだったタックルを一旦置き、ハーフテントの中に避難する。しばらくは外に出られなさそうだ。

思ったより早く、強く雨が降り出した テントを立てるのが急務となった
 セットしかけのタックルを置いてテントの下へ 雨が上がるまでの暇つぶしに携帯を

 3年前、大鯉の手がかりを探るべく、これまで50台や60台の鯉ばかりであったポイントAとBを完全に無視し、釣り場正面に広がる島の際まで遠投して攻める釣りをした。今回もその続きをしようと考えているのだが、そのためには明るいうちに各仕掛けの飛距離を決め、ラインにマーカーを付けなければならない。雨が止まぬまま暗くなってしまうのではないか、また雨によって流速が強くなり、キャストした仕掛けが流されてしまうような事態にならないか、不安が強くなってくる。

 暗くなる1時間前。これまで強く降っていた雨が、スッと音を立てるようにして止み、セミの声も戻ってきた。よし今だ。また雨が降り出す恐れを抱きながら、いつもより早めのピッチでタックルセットを再開する。


暗くなる前に雨が止んでくれた

 今回は竿を3本出し、1番竿と2番竿で島まで10メートルの位置、飛距離にして約70メートル程のところを狙う。3番竿は出来るだけ島に近づけて飛距離75メートルとし、それぞれのポイントへ針の付いていない仕掛けを投入した後、ラインにマーカーを付け、リールにクリップする。水はゆっくりと下流へ向かい、速さはオサムシが散歩する程度のスピード、これが近い。仕掛けへの影響はあまり無いようで、スプールが回ったり、バイトアラームが鳴るようなことはない。

 3年前は同じように遠投して島周りをボイリー「ザ・ソース」で攻めた。結果この湖での自己最高の80台が出たわけだが、それ以外は大型のウグイに弄ばれたという点が痛い。それを踏まえ、今回はソースよりもウグイの反応が控えめだと感じている「コンプレックス-T」を選んだ。ポイント周辺にパウダーベイトベースの寄せエサを撒き、その中に針付きの食わせを入れるやり方でいく。寄せエサの内容は「鯉夢想」、「コンプレックス-T18mm」、スイートコーン、ペレットとし、ベイトロケットでポイントとその下流へ打ち込んだ。

オモリ部(セイフティーボルトシステム)
ユニット:タングステンリグチューブ50センチ、コバートテールラバー、ハイブリッドレッドクリップ

オモリ:三角推35号カモフラージュ

仕掛け:(ブローバックリグ)
 ハリス:エジスカモテックスマット25lb(ブラウン)
 針:ST-2

エサ:(ボイリー)
ダイナマイトベイツ「コンプレックス-T」


 湖の状況を知るファクターとしていたワンドの浅瀬の様子だが、3年前とかなり状況が変わってしまっていた。土砂の流入で水底が露呈し、その上で陸生植物が繁茂している。鯉が入って来れる範囲は限られ、ワンドに架かる橋の下に小型の鯉が2~3匹見られる程度だ。「ワンドの浅場を釣る」という釣りはもう出来ないかもしれない。まぁ、そういった小型狙いの釣りはもうここではしないであろうから問題ないのだが、鯉の活性を知る要因としてこの浅場を観察していたので痛ましい。


ワンドが極端に浅くなり陸生植物が生えてしまっている

 とりあえず鯉の気配はあり、状況は悪くないと考えておく。水温はこのダムにしては高く25℃。連なる猛暑が原因だろう。だが今の雨で水が動き、また良い方向へ活性が高まることが期待できる。全てのセットが完了したのは、日陰になるこの場所ではライトが必要になってくる頃だった。さぁ、どう出るか。


セット完了

 雨はもう降る様子はない。今は木の葉に溜まった水滴が落ちる音が涼しく空間に鳴り響く。とはいえ空気はかなり蒸し暑く、ひと月前は寒くてジャケットなどを重ね着していたのが嘘のようだ。そしてまたすぐに、嘘のように寒くなってしまうのだろう。もうそんな季節であることを、釣り場に響くコオロギの声が知らせている。

 21時、1番竿のアラームが不自然に鳴りだした。スプールがゆっくりと、まるでメトロノームのようにクリック音を出しながら回ってゆく。恐らくゴミがラインに引っ掛かって流れに煽られているのだろう。仕方ない回収しようと思った次の瞬間、2番竿のラインが勢いよく出された。これは鯉だ。ドラグを締めて竿を掲げてみるが、アタリ方が激しかったのに対し、魚は意外なほど従順に私の方へ引き寄せられてくる。これなら楽勝か?と余裕を見せていたところで手ごたえが急に重くなった。どうやらゴミに巻かれたようだ。まぁいい、このままゴミごと引き上げてやろう。そう思って竿を立てた瞬間手ごたえが変わった。外れた…?ゴミ以外の重さのなくなった仕掛けを回収してみると、ハリスが中腹から切られていた。それと同時に、ゴミの中に木の枝が混ざっているのに気付く。こちらがテンションをかけた瞬間にハリスがこれに擦れて切れたのだと分かった。あぁ、そんなのありかよ…とため息をつく。

突如2番竿のアラームが鳴る 木の枝に擦れたことによるハリス切れ

 3年前の釣行ではかなりアタリが遠かった。もしかしたら今のが最初で最後のアタリだったのではないかと思えてしまう。とりあえずゴミが引っ掛かっているはずの1番竿と、ついでに3番竿も回収してみる。どちらもボイリーは無傷。ゴミの正体は細長い水草のようで、その中に木の枝などの異物が混ざっていることがあるため油断はできない。全ての竿を打ち返し、寄せエサも追加しておく。

 ゴミはそれほど多くはないようで、頻繁に引っ掛かってアラームが鳴るということはないみたいだ。次があるのか無いのか、さっきのバラしがかなり痛く感じられる。まぁ、次があると信じていこう。このダムでは不思議と活性の高い時でもあまり鯉などの跳ねが見られない。だが、今日はどうだろう。遠くからではあるが、魚が跳ねる音が聞こえてくる。大丈夫、まだまだチャンスがある。

迷い込んできたノシメトンボ いつの間にか横にいたツユムシ

 鯉は私の心を潤してはくれなかったが、久しぶりに自分しか居ないという環境の中にいる。カエル、カンタン、ツユムシ、コオロギ、そんな自然の音しか聞こえないし明かりもない。普通に考えれば不気味でしかないだろうこのフィールド。「夜は幽霊が出るから近づいてはいけない」なんて、地元の人から脅されたこともある。居るのならいっそのこと出てきてくれた方が面白いかも…、まぁそんな邪魔は必要ないか。

 時刻は午前零時を回った。日が昇って暑くなる前に睡眠をとっておかねばならない。だがこの環境と夜の涼しさをもう少し楽しみたくもある。もう30分だけ、椅子に腰かけていようか。


蚊取り線香の最後の灯

 午前5時、まどろむ私を起こしたのは2番竿のアラームだった。魚は左手のワンドの方へ向かっている。そちらには流木が犇めいているポイントがあるためこれ以上行かせたくない。またラインにゴミが引っ掛かっているようなのであまり強引なファイトをしたくないが、流木に巻かれるよりはマシだろう。じんわり竿を絞って魚にこちらを向かせる。これまでの釣果と比べるとまぁまぁといったサイズだ。タモに収まったのは約70センチの鯉だった。

2番竿に70台 なんとかボウズを逃れた 引っ掛かって来るゴミはこのような水草が大半

 全ての竿を回収して打ち返し、寄せエサも追加する。すると次のコールはすぐに来た。今度は3番竿のラインが水中へと送り込まれる。出だしは沖へよく引いてくれたが、一度翻ると今度はこちらへ向かって移動してきた。この魚もゆっくりと左へ、ワンドの方へ向かっている。ワンドの中に入られてしまうと立ち位置的にもやり取りが不利になる。出来るだけ奥へ入り込まないよう、優しくテンションをかけて誘導する。現れたのは72センチほどの、先ほどのものとは少し違う印象の受ける鯉だった。このままサイズアップしてゆければ良いのだが、アタリは続いてくれるだろうか。


2匹目 3番竿に72センチ

 薄く雲のかかる青空。もう雨の心配はしなくていいようだ。枝葉から滴っていた雨の名残の雫も、もうほとんど落ちてこない。静かに流れゆく朝の空気に映える小鳥の声。だがこれから暑くなる。いつまでこうしてリラックスしていられるだろうか。車のクーラーから経口補水液を取り出し、釣り場へ持ち込んだ。


 8時を過ぎた頃、突如目の前で1番竿が暴れだした。良いアタリ方だったが手にした竿にかかる重力はそれほどでもない。しかし個体として見れば攻撃的な引き方や、タモを拒み抗う姿は良い鯉と評すに値する。マットに置かれたその姿はこの湖で釣った初めての鯉に似る。サイズは73センチといったところだ。

 セミの声に風情を感じている間もなく、次は3番竿に来た。ややサイズダウンか…。しかし良いペースでこれまで全ての竿にアタっている。ここまでウグイなどにも邪魔されていないところをみるに、コンプレックス-Tの選択は正解だったかもしれない。タモにするりと入った鯉は60センチ程。まだあどけなさが残る可愛らしい一尾だ。

1番竿に3匹目 雄々しい73 すぐに3番竿に ややサイズダウン

 まだ何か起こる。そんな気がして身構えているとまた3番竿にアタリ。これまでよりも重い手ごたえに80アップを期待するが、現れた魚はそこまでのサイズではない。しかしこれまでの中では最大となるだろう。メジャーをあてた尾が指すのは75の数字。丸々とした個体だ。ここまでアタリが続けばいつ80台が現れてもおかしくないだろう。期待で胸が高鳴るなどいつぶりだろうか。


5匹目の75。このまま80台が出てくれないか…

 だが胸の高鳴りはゆっくりと治まっていった。アタリが止まってしまった。恐らく寄せエサ切れだ。もっと寄せエサを打てばまだ釣果を手にできるかもしれないが、残念ながらベースとしていた「鯉夢想」もコーンももうない。ボイリーやペレットもこれ以上撒けない。ここまでだろうか。ここからは各仕掛けにボイリーを入れたPVAメッシュを取り付け一緒に投入する。PVAはオモリの横に添わせるようにクリップする。こうすると投入時の空気抵抗を少しだけ軽減することができる。


寄せエサ切れ ここからはPVAで少量を

 上がりゆく気温に口にする水がすすむ。天井からはアブラゼミ、ツクツクボウシ、ミンミンゼミの声のコーラス。夏らしくて結構じゃないか。アタリが止まった理由は解決の仕様がなく、だからと言って釣りが楽しくなくなったわけじゃない。最後に一発、何かが来る予感もあるし、この釣りはいつも思いもしないような奇跡と隣り合わせる。竿を出している限り終わらない。


昨日の雨で湿った寝具を干して

 釣りは午後へと突入してしばらく経った。ほとんど邪魔が入らず「暑い」なんて独り言を漏らしても誰も聞いちゃいない。歌でも唄ってやろうか。それは流石にやめておくか…。そして突然の訪問者にやめておいて良かったと思う。

 私の背後に現れたのは夏休みの虫取り少年とそのお父さん。今日このあたりに現れる蝶はカラスアゲハ、キアゲハ、クジャクチョウ、サカハチチョウ、コムラサキ、キベリタテハ。しかしどれも飛行スピードが速く、どこかに止まったりもしないので採取には苦労させられるだろう。この辺りをアゲハチョウのテリトリーと見た親子。「また現れるまでしばらく待ってみようか」とお父さんが言う。子供が熱中している事をよく理解し付き合ってくれる理想的なお父さんで羨ましい。私もあの年頃は熱の入った虫取り少年で、色々な山や林に連れて行ってもらっては蝶を追っていた。子供特有の頭の柔らかさを利用して昆虫図鑑を丸暗記する勢いで読みふけり、まだ合えぬ蝶との何時しかの遭遇を夢に心を躍らせていた。蝶だけで一体何目何種採っただろうか。あの頃の熱さ、そして今の鯉釣りへの熱さ。私は常に何かに燃えている人間だ。


 釣り開始から24時間が経過した。そろそろ最後のエサ換えをしよう。立ち上がる腰が重いのは熱さに耐えたことによるものだろう。最初に手にした1番竿に違和感を覚えた。これはウグイだ。そういえば1番竿のアラームが一度だけピリッと鳴っていた。こいつだったか…。もっと激しく何度かアラームを鳴らしてくれればもっと早く気付けたのだが…。時間を無駄にしてしまった。頬掛りしてしまったウグイを湖に戻し、新しいコンプレックス-Tを取り付け投入する。右二本は全く問題なく返ってきたので、PVAをクリップするのみで打ち返した。

 終了時刻をいつにしようか。そんなことを考えながら目を瞑る。そして再び目を開けたときにそこにあった光景は、日が沈み、暗くなった釣り場だった。しまった、つい椅子に腰かけながら眠ってしまった。ヘッドライトを頭に装着して急いで納竿にかかる。一度に全ての荷物を駐車場に運ぶのは少々身体に痛いので、分割して纏め、昼間の暑さを物語る車の中へ仕舞い込んでゆく。

 今回は色々と忙しく動く釣りとなった。もちろんその分内容が濃い。雨に晴れに鯉に蝉時雨。自分にあと何度訪れるかわからない大切な夏の1頁だ。それを確かに此処に留めておこう。さて、次はどうするか…。