鯉釣り日記2017 揚羽と共に夏が散る

釣行日時 8月19日17:00〜
8月20日16:00
釣行場所・ポイント名 第二Nダム

 仕事場の玄関を出ると同時に私は釣人となる。自分を自由に表現できる時間の訪れ。道を行き、普段ならばゴールといえる部屋はただの中継地点。私の心は既に遠く離れたあの場所にある。この陽が落ちる頃、私の目前には黒い湖面に矛先を向けたロッドが鎮座しているだろう。

 家に着いても靴を脱ぐようなことはしない。玄関に用意してあるアイリッシュクリームの香り漂うバッグを手にし車に積み込む。よく晴れた晩夏の昼下がり。釣り場へと進む車の前をカラスアゲハが横切ってゆく。山道に入ってからは音楽を止め、窓の外から横切る夏の声に右耳を貸す。赤い百合の花が咲き、ここにも、あそこにもアゲハが舞っている。幾つもの夏の光景を通り過ぎ、気付けば釣り場はもう近い。

 カートを引いて坂を下りてゆく。ロッドポッドを包んだカープアンフッキングマットを持つ右手が少し重いが、ここではバンクスティックよりもロッドポッドを備えた方が良い。様々な方法で釣りをし、何度も痛い目にあって分かった事がいくつもある。ここはもう知らない場所ではない。

 前回に比べて水がかなり濁っている。水面には消えない泡。鯉の気配は薄い。ただの湖なら引き帰すところだが、このダムの水は必ず動く。鯉は戻ってくるはずだ。いつも通りに釣りを始めればいい。前回、前々回の結果を踏まえ、無理にこちらから食わせようとするスタイルはとらない。ルアーやフライ、あるいはヘラ釣りのようにタックルチェンジをしてスポーティーに攻めることは時には必要だが、鯉釣りは結局待ちの釣りだ。完全を尽くして待っていれば来る時に来る。完成度の高い釣りができればできるだけ、何もせず、何も考えずにただ待っているだけの時間が多くなる。鯉釣りはそんなおかしな釣りだ。

 今回はフィーディング用のパウダーベイトやペレットは持ってきていない。ブローバックリグのボイリーを単体でPVAも付けない。ここまでで最も信用できるポイントにそっと投げ入れ、その周囲に同じボイリーを数粒撒いた。これで良い。この場所で初めて安心して待ちの座につくことができた。

前回と同じブローバックリグで 今回はカープオンリーアイリッシュクリームを使用

 タックルにおいては前回から特に変更した点はない。今回はカープオンリーの「アイリッシュクリーム16mm」をエサとするためそのサイズに合わせたブローバックリグを使用するが、ヘアの長さを16mm用に調整している他はST-2の針もコーティング25lbのハリスも同じままである。一番竿、二番竿をロッドポッドにセットしてメインであるポイントA、Bを狙う。そしてもう一本、三番竿は前回同様にバンクスティックで離れたところにあるワンドの浅瀬にセットしておいた。こちらはダンゴエサで攻めるが、仕掛けのバランスはオモリを35号カモフラージュに変更した以外はエサの内容共に前回の釣行レポートに記述しているままだ。

ポイントA、Bを狙う一番と二番の竿 三番竿はワンドの浅瀬に

 水が動けばワンドの浅瀬で小鯉の回遊が見られるようになるはずだ。この浅瀬でもヒットの可能性を掴めているから、もはや三番竿は捨て竿ではない。本気の攻めの竿だ。スウィンガーを全開まで落としてラインを緩め、足元からポイントまできっちり沈ませる。

 悩みあぐねて首を傾げながら作業をしていたこれまでとは違い、タックルセットをスムーズに終わらせることができた。
さっきから足元でうるさいシッポのついた友達。それをいなしながら橋の欄干にもたれかかり、バイトアラームの受信機を右手に夕日を拝む。 さて、今夜はゆっくり過ごそう。気付けば前には聞こえなかったコオロギの声が耳の中に転がり込んでくる。もうこんな季節になってしまった。これが2017年夏の最後の釣行となるだろう。

ここに来るといつも遊びにくる猫 こいつにはヒゲモヤシと命名した

 後ろを見ればただ真っ暗な空間が広がっている。小さな橋があるだけでそれが無ければ今ここは私独りだけの無人島のようなもの。駐車スペースから釣り場の方を眺めてみよう。あまりにも不気味でこれ以上行きたくないのが普通だろう。そんな場所に私のフィールドがある。椅子からだらしなく足を放り出し、好きな鯉柄のアクセを着けて。無いようで有る音を感じ取り、耳が寂しくなればインストゥルメンタルを小さなスピーカーから流す。半日前とは真逆の環境。半日前のあの人達は私が今ここでこのようにしているなど思いもしないだろう。プライベートというのはこういうものだ。


 21時頃。車に寝具を取りに行っている途中でアラームに呼び止められた。点滅する青のランプはポイントAの一番竿のものだ。魚は茂みのある左手に走っているが、竿を手にしてみた感触からしてこの子は恐れるような相手ではない。あっけない程にヘッドライトの円の中に浮かび上がった。これはランディングされた後にマットの上で大暴れするタイプだろう。上げてみれば案の定だった。小さいが、やはりここの鯉は猛々しい。釣り上げられてから暴れまわり、宥めて針を外すまでが大変だった。その力を水中で発揮できていれば結構楽しめただろう。


ポイントAでヒット 釣り上げられてから大暴れした

 テントを張って寝床を確保していると2番竿のアラームが単発的に鳴り出した。竿先がノックされるような小さなアタリ。鯉の前アタリなんかではなく完全にヒットしているようだ。竿を上げてみれば思った通りの姿が湖面を割った。やれやれまた大きなウグイが来てくれたものだ…。ここは夜になるとウグイが五月蝿くなる。今回は粉エサやリキッドなどを使っていないのでそう頻繁にはこないだろうが…


ヒットしてしまったウグイ様

 蚊取り線香が最後に強く光を放って消えていった。友人とのLINEのやり取りも終わり、テントの中でベッドメイクに入っていたさなか、外から竿が暴れる音が飛び込んできた。次の瞬間受信機の赤いランプが点る。ランプの色を見なくたって音のする方向から三番竿のヒットだとわかっている。慌ててテントから飛び出し竿の方へ駆ける。

 油断していた。というより、三番竿を出したまま靴を脱いでテントに入ってはいけないことを忘れていた。サイズは知れている。50とか60とかそんなところだ。しかしそんな小さな鯉が底の泥を巻き上げながらまさに疾走している。そして越えられてはいけない地点を軽々と通過していった。その地点の水面の少し上には橋を張るワイヤーが対岸まで延びている。通過後に竿を立てればラインがワイヤーに擦れて切れる。その先には浅場に引っかかった流木。そして更に先には流木が点在するカケアガリ。そこまで走られてカケアガリ下に潜り込まれてしまえばもう鯉を捕ることができなくなる。まずいと思いながら姿勢を低くしてドラグを締め、魚を強引にこちらに向かせた。止めることは余裕にできた。しかし鯉は上を向き、水面で激しく暴れる。その瞬間少し嫌な感触があった。しゃがみながら竿を水底に突っ込むようにして魚を寄せ、危険地点から離す。あとは簡単だ。いくら引きが強くても相手は子鯉だ。これが70を超えるサイズだったら危なかったかもしれない。マットに乗せた鯉は暴れ疲れたのか大人しくしている。アベレージを下回る50センチくらいの小鯉。写真を一枚だけ撮ってすぐに放した。仕掛けを見てみるとタングステンリグチューブがズタボロになっていた。やはりあの時何かに擦れたのだろう。だがラインは無事だった。チューブが無かったら危なかった。

こんな小鯉に冷や汗をかかされた リグチューブがラインを守ってくれた

 まずない事だろうが、もし三番竿のポイントで80センチ以上の鯉が掛かってしまった場合の対策は考えてある。今と同じ状況でもある程度の対処は可能だ。だがその方法は、特に夜間なら、かなりの危険を伴う。それを出来ずに済んでよかった。小鯉で良かったなんて思うことになるとは…。

 障害物の有無に問わず、これから就寝に入るというときに浅場のじゃじゃ馬など相手にできない。三番竿はここで退かせ、仕掛けの交換もキャストもせずにロッドポッドの二番竿の隣に置いておいた。また朝になってから出動させよう。椅子に腰掛け興奮を冷まし、さっきから横でくつろいでいるアマガエルに別れを告げてテントに入った。


 風が木の葉を揺らす音とともに目を覚ます。日が昇ってからは南西の風が吹きはじめた。ダムの水もいつの間にか動き出し、昨日まであった濁りが解消されていた。まずは一番、二番竿のエサ換えから。そして三番竿を復活させる。
 

 三番竿のような浅場の釣りなら濁りがあってくれた方が好ましいのかもしれないが、昨日よりも鯉の気配を濃く感じる。だがまだアタリはしないだろう。足を組みながら椅子に座っているのも飽きた。ちょっと散歩に出てみようか。日向に出てジリッとした太陽の暑さを肌に感じた。この感覚もこれで今年最後になるかもしれない。ミンミンゼミも鳴きだした。この夏の音を少しでも長く聞いていたい。風の涼しさは私の体には優しいが、夏が終わる切なさは心にしみる。でも秋の此処も見てみたい。現在水温21度。低水温の条件下ではここの鯉はどう動くのか、少し考えてみることにする…。

クロヒカゲとクロアリ また来たヒゲモヤシ

 オータムステージのこのダムでの釣りを想像、妄想をするが、そんな私を現実に引き戻してくれるアラームは鳴ってくれない。念のための打ち返しも何度かしたが何れもエサ仕掛けに問題はない。鯉の気配は確かに感じる。あとは鯉次第ということか。今日はあまり長くは粘れない。できるなら早いとこ勝負を決めたいのだが…。

 昼をとうに越し、思ったよりも待たされてやっと三番竿にヒットが訪れた。正体がウグイである疑いを拭えないようなアラームの鳴り方だったが、竿を持った瞬間から土煙を上げながら鯉が疾走を始めた。60センチってとこか…。ここはこのサイズばかりだ。これよりもサイズが大きく勝る鯉も劣る鯉も見たことがない。

ようやく三番竿にヒット 浅場の鯉は疾走する 60センチ ここはこのサイズばかり多い

 もう一度同じポイントにダンゴを打つ。それがバラケきったであろうタイミングで周囲から泡付けがポツラポツラと浮かびはじめた。鯉が底を貪ることで起こる土煙も一緒に湧き出すように現れる。鯉は近い。寄りはかなり良い。ここの鯉はダンゴなどの寄せエサに対しては無邪気なほどに反応してくれる。釣り人の多い私のホームグラウンドで見られたようなダンゴの存在自体に警戒して避けて通るような鯉はいない。だが既の所での見切りが鋭い。三番竿の横の木陰に入って、彼らが針付きの食わせエサを選んでくれることを願う。、ただただじっと、木にもたれ掛かりながら。


ミンミンゼミは北海道ではレアキャラ


 頭上でミンミンゼミが鳴き出した。夏の風物詩として有名な彼らの声だが、北海道では限定的にしか生息しておらず札幌に住んでいてはほとんど聴く機会がない。テレビドラマなどの背景音としてしか聞いたことのないこの音に憧れすら持っていた私が、初めて生でこの夏の声を聴くことができたのはこの場所だ。ここに来ると「夏」と一緒に居られる気がする。

 仕掛けのすぐ横に鯉がいる。なのにもかかわらず竿先はピクリとも動かない。今日は時間がない。三番竿はこのままにしておくとして、一番竿、二番竿の今回最後のエサ換えをする。アイリッシュクリームと併せるのは邪道なのかもしれないが、新しいアイリッシュをモンスタータイガーナッツのディップに漬けて投入しておいた。最後の足掻きといったところだ。

一、二番竿最後の打ち返しはディップを付けて この景色ともそろそろお別れ

 だが無情にも…いや、充分に楽しませてもらっているが、これ以上何事もなく終了予定時刻を過ぎてしまった。前回のような終了直前のヒットの期待もあるから一分一秒たりとも仕掛けをポイントに納めておきたい。でも、今日はもうこれ以上は無理だ。大きなため息を付きながら負けを認めた手で竿を持つ。

 とりあえずは「サイズに関わらずこのダムの鯉を普通に釣ることができるようになる」という今年度夏期の目標をクリアしたと言える。もしかしたら秋季にまたここに訪れて同じような釣りをするかもしれない。だが、来シーズンの夏季からはここに訪れる意味が変わる。このダムでより大きな鯉を釣ること。これまでの感触から察するに、それはかなりの難題になりそうだ。ここの鯉がどこまで大きく成長するかはわからないが、まずここで80UPを出したい。だがそれだけでも多分来シーズン夏季には間に合わない。これまでとは攻め方を変える必要があるのはもちろん、夏季だけでなく、秋季、あらゆる条件下の此処を知らなくてはならない。何連続ボウズを喰らってもいいと覚悟はできているが、辛い釣行が続くだろう。

 纏めた荷物を担ぎながら最後に世話になったこの釣り場全景を眺める。鳥にでも襲われたのであろう、カラスアゲハの尾羽が南西の風に舞いながら堕ちてきた。夏が終わったと感じた。